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4. TRF radio receiver |
42. Superhet tubes |
43. Transformer-less | ||
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0,Table of Japanese Name Receiving Tubes in Post WWII Ages/ 別名一覧(日本受信用真空管名称制度による名前の球一覧とJIS名) | ||||||||
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1. For Normal Four Tube Receiver and RF One Receiver/戦後の並4高1用球, 5X-A1(UX-12A), | ||||||||
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3Y-P1A not yet |
UY-47B (After WWII) Horizon UY-47S
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UZ-42 (after WWII) |
UZ-6D6, UZ-6C6 (after WWII) |
KX-12F (after WWII) |
KX-80 (after WWII) |
戦後,我が国のラジオは,戦争前と同じものが作られました。放送局も放送協会のみで,放送周波数も同じ。ラジオメーカーが戦争前に自主的に作った国策型と称するラジオはトランス付きの並四ラジオや高一,マグネチックスピーカのものが主流です。また戦時中は,政府の統制による放送協会の規格,放送局型ラジオはトランスレス高一ラジオが主流でした。戦後も政府の統制による放送協会の規格として,国民型ラジオが作られました。ともに再生検波の高一,並四が主流でした。真空管は,戦前には2.5V管が使われましたが,戦後は球メーカーの念願であった6.3V管への切り替えをどさくさにまぎれて実行しました。はじめ2.5V管もあり,高周波増幅と検波はUZ-58A, UZ-57A, 電力増幅と整流はUY-47B, KX-12FまたはUZ-2A5, KX-80が使われ,並四では,UZ-57A, UY-56A, UX-12A, KX-12Fというところで, 6.3V管では,UZ-6D6, UZ-6C6, UZ-42, KX-80というところでした。1946年にUY-47Bの2.5V管として傍熱型の3Y-P1が作られ,また6.3V版として6Z-P1が登場しています。
UZ-6D6, UZ-6C6は戦時中に軍用として多量に作られたので,戦後,どっと市場に溢れました。スムーズに移行できました。品不足のおりにはUZ-78, UZ-77も使われました。国策型や放送局型ではダイナミックスピーカは贅沢品として敬遠されたのですが,戦後は堂々と復活し,UY-47BやUZ-42のものが登場しました。UZ-42も軍用として細々と作られていました。スーパーヘテロダイン受信機への移行は1947年頃からとなりました。
戦前から真空管メーカは品種整理を望み,戦時中には日本受信管名称付与制度を発足させ,分かり難い真空管の名称の付け替えを試みてきましたが,戦争で中断していました。戦後,制令により一挙にこれを施行しました。UZ-75とUZ-2A6が兄弟だなんて名称からでは分かりません。用途も分からない!日本名称は3Z-DH2と6Z-DH2ですから合理的です。しかし,時既に遅し!,戦後米国の新しい真空管がどっと流れ込んできたこともあって,対応できなくなってしまいました。米国球をいちいち日本名称を付けていたのでは混乱の原因になります。そこで,あえなく廃案となり,日本固有の真空管に限って名称を付けることになりました。
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A |
5X-A1 3X-A2 |
UX-12A UX-2A3 |
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B |
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30G-B1 |
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C |
3W-C1 6W-C1 6W-C3 |
Ut-2A7 Ut-6A7 Ut-6L7G |
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12W-C1 2Z-C2 12G-C4 12G-C5 6W-C5 12W-C5 6W-C5A |
UZ-1C6B
(=12SA7GT)
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D |
3Z-DH2 6Z-DH2 6W-DR1 |
UZ-2A6 UZ-75 Ut-6B7 |
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6W-D1 6G-D1 12Z-DH1 6Z-DH3 12G-DH3 12Z-DH3A 12G-DH4 12G-DH5 12G-DH6 |
Kt-6H6A (=6H6GT)
N-231
(=12SQ7GT) |
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K |
5X-K3 |
KX-12F |
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6X-K1 12X-K1 30G-K5 |
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K |
5X-K4 5X-K6 6Y-K8 |
KX-80 KX-5Z3 KY-84 |
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24Z-K2 12G-K10 30Z-K12 |
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L |
2X-L2 6Y-L3 |
UX-30 UY-76 |
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12Y-L1 3Y-L3 4B-L11 |
UY-56A
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P |
2Y-P2 6Z-P4 |
UF-1F4 UZ-42 |
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3Y-P1 6Z-P1 12Z-P1 12Z-P1A 3Y-P3 6Z-P5 3Y-P6 12G-P7 2Y-P8 30G-P9 |
UY-47B UZ-6L6A UY-169 N-052
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R |
6Z-R1 2X-R3 |
UZ-6C6 UX-1B4 |
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3Z-R1 12Y-R1 2X-R2 12G-R4 2Y-R5 12G-R6 |
UZ-57A
UX-167 N-051
(=12SJ7) |
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V |
6Z-V1 2X-V2 12G-V4 |
UZ-6D6 UX-1A4 12SK7 |
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3Z-V1 12Y-V1 12Y-V1A 12G-V3 |
UZ-58A
N-053 |
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小型ラジオ用直熱3極出力管。東京電気マツダ支社。1942〜1943年頃に名称登録。米国系12A/国内名UX-12Aの単なる別名。
(原型・構造・特性)
5.0V,0.25A,ST38-?,4D,
180V,-15V,8.5mA,rp4.15k,gm1.8mA/V,μ7.5,RL9.65k,0.27W,Ebmax180V,Pb1.8W
(A1)195V,2k,(10.6Vrms),8.5mA,RL10k,0.27W
米国生まれのラジオ用小型直熱3極出力管112A(S管,ナス管)は,東京電気(後の東芝,商標はマツダ)がUX-112Aとして1928年に国産化。またダルマ型(ST管)のUX-12Aは東京電気が4年後の1934年頃に国産化しました。5X-A1は「日本標準名称制度」におけるUX-12Aの別名で1942年〜1943年頃に登録したものです。
なお,UX-12Aの代表特性はDC点火,片側接地の例ですので,フィラメントあるいはヒータの中点を接地したAC点火の場合は,プレート電圧ならびにグリッド電圧を5Vの半分-2.5V減じる必要があり,その代表特性は,Eb177.5V,Eg-17.5Vとなります。
(時代背景とその後)
米国系112Aは1928年(昭和3年)頃に国産化され,直流式の高価なラジオでラッパを鳴らすための小型出力管として用いられましたが,ST化とともに廉価になり名称も12Aに変りました。その後,国内では1935年頃に交流式の並4(UY-24B,UX-26B,UX-12A,KX-12B)が国内標準形ラジオとして確立しました。並4は,ペントード出力管UY-247B(1932年)の出現とUY-47B(1933年頃)の普及により,シェアを奪われましたが,しかし面白いことに完全に滅ぼされることもなく,シェアを並3や高1と分けながらも,戦後1948年にGHQにより再生式ラジオの販売が禁止されるまで生き長らえました。この間,並4の検波管はUZ-57やUZ-57Aに,増幅管はUY-56,整流管はKX-12Fに変りましたが,出力管UX-12Aだけは代替管が出現せず日本の標準球として広く使われました。このため,販売禁止後も保守用に長く需要があり,戦後すぐには60社以上が,また1960年代前半頃にも国内大手各社が製造していました。ちなみに国内最大メーカの東芝が保守品種に指定したのは1960年頃です。なお,国内では1955年4月から日本名称UX-が廃止され,以後米国と同じ名称12Aになりました。5X-A1の名称は1942〜1943年頃に付けられたものの,この名称を付した球は実質的には製造されなかったと思われます。今日,国産のUX-12Aは入手難ですが,米国産は比較的容易に入手できます。
UX-12Aの傍熱管であり,特性は互換といわれ,構造はUY-56Aを基本にグリッド巻き線を改造したもの(今回の観察より)。
(原型・構造・特性)
5.0V,0.4A,ST38-3,4D(=12Aのベースだから誤り,本当は傍熱だから中点付近に結合)
代表特性,最大定格(設計中心)は同じ,
(A1)195V,2k,(10.6Vrms),Ib0=8.5mA,RL10k,0.27W,
195V,2k,12Vrms,ib0=8.5mA,RL10k,0.36W (NECnews)
NECは戦後の1948年頃,製造が間に合わないUX-12Aの代替を目的とした傍熱管としてUX-12AKを開発し,一時期製造しました。この球の原型はUY-56系のようで,電極構造がそっくりです。12Aを傍熱型にするには同一のパービアンスを確保するのに余分に電力が必要だったようで,ヒータ電力は5V,0.4Aに増強されています。よく見ると,このヒータはUY-56(2.5V/1A)の省電力版UY-56A(2.5V/0.8A)の5V版に他なりません。UY-56Aのグリッド巻き線を粗にすることにより,増幅率を13.8から7.5に落とし,12Aの傍熱版ができあがりました。
ヒータ以外の特性は完全互換ですが,代替以外に特に優れた性能も無く,またヒータ電力に余裕の無いラジオでは出力が下がってしまうなどマイナス要因にもなりますので,他社のUX-12Aの製造が軌道に載るとともに廃止になり,JIS名に登録されることもありませんでした。UX-12Aの代替ですのでベースは4pinのUX型が使われ,不足するピンはカソードをヒータに接続することで解消しています。ところが,直熱管のフィラメントは中点にカソード・バイアス用抵抗を接続することが一般的であり,AC点火の場合にはカソードをどちらのヒータ・ピンに接続してもハムの混入は避けられません。このため,カソードを真空管内部でヒータ中点に接続し,解決を図っています。これは実用新案になっており,傍熱管による完全な代替が可能になりました。同じ例が,UY-47Bに対する3Y-P1,UY-24Bに対するUY-57Sに見られます。
[Photo 1-1] Okaya Electric Rodin UX-12AK/岡谷電機産業(ロダン)のUX-12AK。Rodinはその後発音し易い綴りRODANに変わった。岡谷は1970年代にWE-300Bの国産版Audio tron HF-300Bを作ったことでも有名。このサンプルは並四ラジオから出てきた中古球で,元のUX-12Aの交換部品。ガラス管正面にはロダンのロゴと8角枠に管名。印字は銀系と思われるが酸化が進みバリバリになっている。水拭きでは取れてしまう。裏面には赤文字で(RW)。プレートはニッケル筒。上部にグリッド放熱用のU字型フィン。ゲッタは棒型にU字型枠が付いた角型。
[Photo 1-2] Top Electrode of UX-12AK/頭部。電極は一見UY-56のようにも見えるが,違いの1つは上部のカソード・スリーブから1本の棒が突き出ており,これにヒータが結ばれていること。[Photo 1-3]電極下部を見ると,ヒータは通常のヘアピン型。UY-56との違いの2つ目はグリッド巻き線の間隔がやや広くなり1.5mm程度であることが分かる。
6Z-P1は日本独自のトランスレス用電力増幅5極管12Z-P1を6.3V管に改良したもので,東京芝浦電気(現東芝)が1943-44年に開発。発売は1946年の模様。12Z-P1の原型は1931年に開発された米国のトランスレス兼用6.3V管の238/38で,これを150mAヒータでレス化しさらに高感度化したもの。
12Z-P1はトランスレス用電力増幅5極管で,NHK日本放送協会の依頼で1939年に東京電気マツダが開発した150mAシリーズトランスレス用の1つ。6Z-P1は戦時中1943年に開発が行われ(MJ43.1),1944年には完成していた(1944ラジオ手帳)が,我々が後世に知っていた姿と異なり,ヒータは6.3V/0.3Aだった。戦後,1946年に発売された時(MJ47.1)には0.35Aとなったらしい。
戦後英国で出版された世界真空管マニュアルにも記載された日本を代表する球として本家12Z-P1よりも有名。
原型は1931年に米国で作られたヒータ電流300mAの238/38と思われ,スクリーングリッドの特性(感度)以外は同じである。出力は同じであるが,感度を高めるためスクリーングリッドをカソードに近接させたため,gmは増加したが歪みも増加した。また同一動作条件ではスクリーングリッド電流が増加するため,スクリーングリッド最大電圧が180Vに引き下げられている。6G6-Gが原形との説もあるが,もともと6G6-Gは238/38の改良管で,従来と異なる酸化物陰極を用いてエミッションを向上させヒータ電力を半減した新型管であるが,電気的特性は238/38のものを踏襲しているのであるから,古典的なカソードを使用した12Z-P1/6Z-P1のルーツはやはり238/38に求められるべきであろう。
6Z-P1は戦後1946年にガラスプリントの形で発売され,日本通信機工業会(CEMA,後のEIAJ)が1946年に6種の受信機の規格を制定し日本放送協会の認定をとった国民型ラジオ2号(マグネチック),ならびに4号B(ダイナミック)に採用されたので有名になった。6Z-P1は当初,東芝(サイクルマーク)だけが製造し,鉄ピン,ニッケル鍍金ピンの版があるが,マツダロゴが復活した頃は真鍮ピン,ニッケルへと戻った。1947年に川西(神戸工業テン)など次第に各メーカとも製造しはじめた。一族の3Y-P1は1946年に東芝が開発し製造をはじめた。6Z-P1の外形ははじめ,105mmだったが,1949年頃になって,東芝はガラス管のサイズをやや短い113mmに変更し,各社とも短い球を製造するようになった。
6Z-P1は廉価で手ごろな出力だったので,その後,ダイナミックスピーカの普及型のスーパーヘテロダイン受信機にも採用され,1960年代まで使用された。
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Base |
Outline |
Eh V |
Ih A |
Eb V |
Esg V |
Eg V |
Ib mA |
Isg mA |
rp kohm |
gm mA/V |
RL kohm |
Po W |
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UY-38 (参考) |
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6.3 |
0.3 |
180 |
180 |
-18 |
14 |
2.4 |
115 |
1.05 |
11 |
1.0 |
|
|
6G6-G (参考) |
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6.3 |
0.15 |
180 |
180 |
-9 |
15 |
2.5 |
175 |
2.300 |
10 |
1.1 |
|
|
12Z-P1 Tsukahara 1943 |
1:h, 2:p, 3:g2 4;g1, 5;:k+g3, 6:h |
ST-38, D=38 mm, L=105 mm, JES-6B |
12 |
0.15 |
180 100 |
180 100 |
-10 -5.3 |
15 7 |
2.5 1 |
130 160 |
1.750 1.400 |
12 16 |
1.0 0.25 |
(旧型) |
|
12Z-P1 電気通信学会, 事業ニュース 1942.4 (東京芝浦電気マツダ支社) |
- |
ST-38, D=38 mm, L=105 mm, JAS-6B |
12 |
0.15 |
180 |
180 |
-10 (7V) |
15 |
2.5 |
130 |
1.750 |
12 |
1.0 |
Thw=10sec [規]商工省日本標準規格 |
|
6Z-P1 (ラジオ手帳'44)(東京芝浦電気通信支社) |
1:h, 2:p, 3:g2 4;g1, 5;:k+g3, 6:h |
ST-38/ D=38 mm, L=105 mm |
6.3 |
0.3 |
180 |
180 |
-10 |
15 |
2.5 |
130 |
1.750 |
12 |
1.0 |
マツダのみの規格 |
|
6Z-P1 (Matsuda'51) |
1:h, 2:p, 3:g2 4;g1, 5;:k+g3, 6:h |
ST-38, D=38+/-1 mm, L=113+/-5 mm, JES-5B, JES-1A |
6.3 |
0.35 |
250 100 |
100 100 |
-10 -10 (10Vp) |
15-17 15-16 |
2.5-4.0 2.5-4.5 |
150 130 |
1.800 1.75 |
12 12 |
1.5 1.0 |
(Ehk=150V) |
|
6Z-P1 (Matsuda'58) '60, (保守用品種) |
s.a. |
38-1, D=39 max, L=118 max |
6.3 |
0.35 |
|
|
|
|
|
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6Z-P1 (CES '58-66) Matsushita (廃止品種) |
1:h, 2:p, 3:g2 4;g1, 5;:k+g3, 6:h |
- |
6.3 |
0.35 |
180 |
180 |
-10 |
15 |
2.5 |
130 |
1.750 |
12 |
1.0 |
|
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6Z-P1 3極管接続(推定) |
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180 |
- |
-10 |
17.5 |
μ8 |
4k |
2.0 |
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Toshiba Early-time 6Z-P1s after WWII/戦後の東京芝浦製作所の6Z-P1。左は戦時中使われたサイクルマーク(プロペラ・ロゴ)がある最初期(1級)のモデル,右はマツダ・ブランド(1級)の初期のモデル。この時代のプレートは戦前の12Z-P1と同じで戦後のモデルよりも太い。
プロペラ・ロゴのモデルは,ベースピンが鉄製で赤錆が出ている。ガラス管は超ナデ肩で,管名は白文字で管壁に印字。皿ゲッタ。ステムに文字なし。造りはかなり雑。gm=48。
マツダ・ブランド初期のモデルは,それよりやや後のもの。真鍮ピン。マツダのロゴは裏側にありかなり小さいのが特徴。ガラス管壁の管名は白文字。管名はややぼけ,1級マークだけははっきりしている。ステムにはMの文字。gm=43。
Early-time 6Z-P1s/初期の6Z-P1。左のサンプルは最初期のモデルの裏側。左側に1級マーク,その右にプロペラロゴが見える。右のサンプルはマツダ・ブランド。1級マークは管名の右にある。
6Z-P1はヒータ電力が原型の12Z-P1(12.0V,0.15A)よりもやや大きく(1.8から2.205W),6.3V,0.35Aになっている。ちなみに,商用電源の低下時にエミッションを確保するためにヒータが増強された12Z-P1Aが1947年に作られたが,これでさえ12.0V,0.175A(2.1W)であった。6Z-P1の大ヒータ電力の理由はヒータ効率の差にあったらしい。一般に電圧が低くなるとヒータ効率が悪くなることは知られている。そこで,6Z-P1はヒータ電力の増強の道を陽に取ったのである(ヒータ効率の項参照)。12Z-P1の原型である米国38は6.3V,0.3Aであったから,これと比較するとヒータ電力を16%増強(6.3V,0.35A)してgmを約1.7倍に改良したことになる。この結果自体は悪くないのだが,ヒータ電力の大きさが,後の新型管6G6-Gや6AK6(6.3V,0.15A)と比較され劣ると言われる原因の1つになってしまったのである。
6Z-P1は,戦中に開発されたが,製造販売は戦後になった。東芝マツダを始めとする国内各社は一斉に球の傍熱6.3V化を図ったが,その際に各社も6Z-P1の製造に参入し,従来のUZ-42などとともに生産開始した。6Z-P1は十分大きな出力(1W),内部抵抗が高くハムに強い,UZ-41やUZ-42より安価で消費電流が少なくパワー・トランスや整流管も安価になる,などの利点があり爆発的に普及した。
戦時中長らく保守用球が跡切れており,さらに戦災で消失したセットの買い直しのために,戦後すぐに真空管需要が急騰したが,1947〜48年頃には大手真空管メーカは戦災の復旧を開始したばかりで生産量はまだ僅かであった(1品種月産数千本程度)。このため,ラジオ・セット・メーカは球なしセットを山積みにし,町工場的ベンチャー企業が竹の子のように数多くの現れた(1947年頃60社以上あった)。この状況は1948年頃に解消したそうである。戦時中ならびにこの時代の球は,資材不足,熟練工不足,規格検査のルーズさが原因して,品質の低下と外観の「バラエティー」が生じ後世に「粗製乱造」といわれた。6Z-P1はこの時代の申し子である。球が不足していた戦後の一時期,6Z-P1はオーディオ用(電蓄)から高周波の送信機終段管としてまで幅広く用いられ,水冷では10Wの出力が得られたという蛮勇も伝えられている。
ラジオ・セットでは,「普及型」には6Z-P1が,「高級型」にはUZ-42が使用され,早くから住み分けが確立していた。UZ-42に6Z-P1が負けるということは決してなかったのである。ラジオ用ST管生産のピークは1952〜1953年頃(年2000万本)であるが,ラジオ用MT管の国産化が1950〜51年頃に行われ次第に普及し始めると,1954年には年1500万本,1955年には800万本と落込んだ。したがって,大手ラジオ・メーカが6Z-P1の採用を止めたのは1954〜1955年頃である。マツダなどはラジオ用ST管の製造は続けていたが,自ら作っていたラジオ・セットには1955年を最後にST管は止めてしまった。面白いことに1954〜55年になるとラジオ用パーツ・メーカが出そろい,データ・シートまで整備されて,ST管ラジオ・キットが各社で販売開始された。これが下火になるのが1958年の終わり頃で,各社ともST管セットを廃止したのが1959年であった。これにより,6Z-P1は名実ともに保守用としてのみ販売されることになった。この球は保守用として1960年代後半まで生産が続けられた。(最近の記事によると1983年頃まで生産されたという未確認情報もある)。今日残っている規格表のパラメータに大メーカ間の違いは若干見られるが,特性曲線にも曖昧な部分があり,東芝(マツダ),松下,NECなどにもメーカ間の特性の差が見られる。
ヒータ電圧の違いとヒータ効率対策
欧州系のメーカは,ヒータ電流だけが0.3A/0.45A/0.6Aと異なる同一品種は,ヒータ電圧の低下にともなう効率低下分を予め電圧を若干引き上げて補償し,規格にも明示する方針を取っている。例えば6EJ7/4EJ7/3EJ7,あるいは13CM5,25E5など。これに対して,米国系メーカは伝統的にヒータ電力は変えずに球の規格に若干差異を残す方法を取ることが多かった。例えば,米国系42と2A5はヒータ電圧だけが異なる同一品種と見られており,ヒータ電力の違いも,6.3V,0.7A=4.41W,2.5V,1.75A=4.375Wと1%もない。しかし,ヒータ効率は明らかに異なるため,国産化したUZ-42とUZ-2A5の代表特性のパラメータには若干の違いが見られる。近代TV球でも米国メーカは同一品種では同一ヒータ電力を原則としていたため苦労話が残っており,例えば0.6A系3CB6と0.3A系6CB6では,3CB6だけを特別なエージング工程を通してエミッションを強化する等の対策を行っていたそうである。米国系でも明らかにヒータ電圧(電力)を変えている球がある。例えば,50C5と35C5。これは別の理由から電圧を変えたものを作ったのであり,名称は同じに見えても異品種と数えられている。しかし,原則は6BQ6GT,12BQ6GT,25BQ6GTというように,ヒータ電力は不変である。
2.5V級ラジオ用5極出力管。開発者東芝マツダ?。1947年頃。12Z-P1の2.5V管。保守用。
Toshiba-Matsuda 3Y-P1/東芝(マツダブランド)3Y-P1,なで肩スロープのガラス管。ゲッタは旧型(1954年頃まで)だが1級マーク(1949年まで)は無いので,1950〜1954年の製造である。ステムに白ペイントで「4-エ」とあるので,1954年製か?ゲッタは皿型。管内はやや黒茶化している。
Matsushita-National 3Y-P1s(1954 and 1956)/松下ナショナルの3Y-P1。左はRD(1954年4月)。プレートは2リブの円筒形で灰色アルミクラッド鉄。ゲッタは皿型。ガラスは下部が割れており,すっぽり取れるが,セロテープで留めてある。このため,ゲッタは全て白色化しているし,電極は赤錆が出ている。(松下無線のZ3高1ラジオに入っていた戦後の交換球)
右は少し新しいPH(1956年8月製),無垢のニッケルでプレートフィンが付いている。ゲッタは角型。プレート損失は改善されているかもしれない。
(原型・構造・特性)
(特性)
2.5V,0.9A,ST38-3,5B,
180V,180V,-10V,15mA,2.5mA,rp130k,gm=1.7mA/V,RL12k,1.0W
100V,100V,-5.5V,7mA,1.0mA,rp160k,gm=1.4mA/V,RL16k,0.25W
(参考UY-47B)
2.5V,0.5A,5B,
180V,180V,-19V,20mA,4.8mA,rp45k,gm=2mA/V,RL6k,1.4W
戦前からラジオに使われてきた直熱管UY-47Bの代替品種として開発された。ヒータ電力は12Z-P1(1.8W),6Z-P1(2.205W)に対して,2.5Vx0.9A=2.25Wとやや大きい。UY-47Bと比べると,ヒータ電圧は2.5Vに合せてあるが,電流は0.5Aのところ0.9A必要で,電力としては1.25Wから2.25Wへと80%余計に必要である。また,もともと6Z-P1は6本足のUZベースであるが,5本足のUYベースに合せるため,カソードをヒータの中点に結んでいる。これにより,見掛け上は代替が可能であるが,バイアスが(-19Vから-10V),負荷抵抗が(6kから12k)と変るため,そのまま差し替えが可能だったかどうかは不明。
(その後)
生産は各社で行われた。東芝は1951年から保守品種として1960年まで掲載。
UZ-6D6は1935年に米国で登場した高周波増幅用のバリミュー(リモート・カットオフ)管。1932年に発表されたヒーター電圧2.5VのUZ-58の完全な6.3V版である。また戦時中に多用されたトランスレスラジオ管12Y-V1の後期モデルとピン接続を除いた電気的特性は同じである。我が国では戦後ラジオに多用され長く親しまれた。
戦後,日本ではいつしか2.5V管を止めたかった真空管メーカーの主導で民生用ラジオの6.3V化が一挙に進められ,1946,7年頃からUZ-6D6が国民型の高1ラジオの高周波増幅管として使われポピュラーとなり,次いで1948年頃から1955年頃までのST管スーパーヘテロダイン受信機用に多量に製造された。
戦後,1946年頃から1級マークの球が出始めたが,1948年頃になって業界トップの東芝はSTラジオ管は全てガラス管のサイズをST12-やや短い113mmに変更した。ガラス管長を短くした理由は不明だが,偽物対策あるいはそもそもUZ-6D6のガラス管は他の球に比べて大きかったのでそろえて廉価にした?さらにCgpをやや小さくすることもできたが,各社まちまちのサイズではシールドケースの互換性が悪くなった。この時,UZ-6D6のスートの色が灰色から黒に変え,また冠の鍔も短くした。さらに東芝はすぐにサイズだけでなくST管の肩の形状をいかり肩からナデ肩に変更した。米国製に比較して「格好悪くなった!」という人が多い。この変更理由も定かでない。
ところで戦後,東芝はUZ-57/58,UZ-6C6/6D6と兄弟の12Y-R1/12Y-V1の冠を何故か短くし,さらに裏返して使った。これは一体何だったのか?いまのところ,他には見られない。
[戦後モデルの変遷]
これはガラス内面のカーボンスートが無い珍しいものです。地元のフリーマーケットで入手しました。頭の金具が紛失しているので,いままでだーれも見向きもせずに残っていたものでしょう。ソケットの底には日立のロゴの他に,ピン番号が御丁寧に入っています。まるで戦前昭和10年頃のマツダ製のようですね。珍品なる由縁は、スートが無い点で、まれに米国の後期の製品に見られますが、昭和10年ころからUZ-6C6, UZ-6D6は一貫して灰色や黒のスートで覆われており、これがないのはいわば規格外ですから、中身が見えるのは珍しいのです。この製品は多分昭和20年から昭和22,3年ころの製造で、スートの無い理由は、材料が入手できなかったから、とかの消極的な理由でしかなかったと思われます。スートなしの日立のUZ-6D6/UZ-6C6,リブ付きらしきものが日立の真空管の広告電波科学48年2月に出ていました。リブ無し(23年7月)はその後作られたことになりますね。沖は47年12月の電気通信学会の記事ではラジオ用真空管を製造しており,12F, 42の他,「ピーナッツバルブ」,超短波板極管を作っているとありました。(mixseeds氏のコメント。いかにも材料不足と出来の悪さが微笑ましい?。スートなしは珍しいですね。プレートの上下が空いていて、プレート外側にシールドがありませんから二次電子などで動作は不安定になりやすかったのではないかと思います。帯電しやすく外部の静電気の影響も受けますね。)
米国42は38に次いで古い傍熱型5極出力管で,1932年にRCAが開発,国内では1933年頃にUZ-42として国産化されました。このUZ-42は国内では戦後のヒータ電圧6.3V化,5球スーパーラジオとともに爆発的にの普及しました。1940年代末期から1950年代中頃にかけてオーデイオ(当時は電蓄)の分野でもUZ-2A3と人気を二分しました。米国と日本で違っていたのは寿命で,特に電極のガス放出の点で大きく劣っていたものと考えられます。日本でも,電極材料の国産化技術が1950年代後半にようやく確立し,ようやく民生用の良い球ができるようになりました。
42 6B, 14-1, 6.3V, 0.7A, Ebmax375V/Pbmax11W, Esgmax285V/Psgmax3.75W
(A1single)
285V, 285V, -20V, 38mA, 7.0mA, 78k, 2.55mA/V, RL7kohm, Po4.8W, 9%
250V, 250V, -16.5V, 34mA, 6.5mA, 80k, 2.5mA/V, RL7kohm, Po3.2W, 8%
285V, 285V, 440ohm, 38mA, 7.0mA, -, -, RL7kohm, Po4.5W, 9%
250V, 250V, 410ohm, 34mA, 6.5mA, 80k, 2.5mA/V, RL7kohm, Po3.1W, 8.5%
左は,ガラスの形状はいかつい肩をした旧形式だが,高さが5mm低いため目立たない。プレートは黒化着炭。皿ゲッタ。グリッド支柱はg1銅,g2銀。ステム「ノ・エ」。裏側「1」。1951年?管頭に金属沈着あり。ゲッタ膜の消耗が激しいがgm=94。
右は,ガラスの形状は新型のなで肩になっている。ガラス高さは米国標準になっている。プレートは黒化着炭。角ゲッタ。ステム「○・フ」裏側「5」。1955年?gm=76。
Top View of Toshiba-Matsuda UZ-42s in before and after 1955/東芝マツダ戦後のUZ-42(1955年以前)と42(1955年以降)。上から見た図。ゲッタの違い。
灰プレート。皿ゲッタ。グリッド支柱はg1とg2はともに銀色。gm=36。エミ源球。
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Matsushita-National 42s, in 1956, 1957 and 1961/松下の42。ともにベース印字。左より,OPB(1956年2月),A0/MA(1957年1月),1F(1961年6月)。 1956年にはプレートは灰色だった。ゲッタは2個。それ以降,プレートは黒化着炭となり,ゲッタは1個となる。ただし充填棒は2個使っている。gm=99, 86, 87(Cレンジ)。
日本の整流管は戦前には,独自のものとして,KX112A, KX112B, KX112F, PH-112K, KX12B, KX12F, KX80B, KX80C, KX80Kが知られている。1942年から日本独自の名称制度が確立され,12X-K1, 6X-K1, 5X-K3(KX-80), が誕生した。戦後,ラジオ用には12K, 12FK, 80BK, 80HK, 80S, 新80Kが現れ,さらに日本独自の名称制度が新たにJISに制定され,5G-K3, 30G-K5, 30G-K7, 30G-K9, 5M-K9, 6G-K14, 25M-K15などがCESに登録された。しかし,1955年頃にラジオ用整流管の開発は終了した。残るオーディオ用とTV用も1959年頃を最後に終了し,米国系の球に合流するか1950年代に登場したゲルマニウム・パワーダイオードやシリコンダイオードへとバトンタッチした。
Matsuda KX-12F(1937-1940s), OLDON KX-12F(1940s), DON 12F(1940s), Matsushita KX-12F(RJ) 1954.
Matsuda KX-12F(1937-1940s), 皿ゲッタ,刻印,放,4本足。戦後のものは皆3本足。ステムが7本で,うち2本はフィラメント吊り用に上部に伸びている。em=50.5。OLDON KX-12F(1940s,検M),em=50。 DON 12F(1940s, 1級), ドンはステムが5本で,フィラメント吊りは電極上部で吊りを行っているらしいが見えない。em=61。Matsushita KX-12F(RJ) 1954. em=61。
上記のKX-80は我がST Tube before WWII/Part 1(Radio_tube_3.html)のペントード時代の高級ラジオ球で紹介した「戦後,東芝マツダのKX-80」を再掲載したものです。造りは実に粗悪で,戦後,偽物が横行した時代の「カンマツ」か?と疑われるものでした。文字は白字に(KX-80), 裏に(マツダ),横に(1級)のスタンプがあります。電極の造りは,プレートは着炭黒化。カシメ3つ。ゲッタは皿。ガラス管は長さ不揃い。2本のサンプルはステムを同一レベルに並べてみると同じロットであることが分かる。ベースピンは真鍮で長さ不揃い。ステム支柱は5本でプレート2本,フィラメント2本,中点1本。ところで,この構造,下の新しい時代の東芝マツダのKX-80と見比べて見て下さい。本物だと分かります。
左は東芝マツダのKX-80(1950年代始め),プレートはくすんだ灰黒色,皿ゲッタ。造りは1940年代末とほぼ同じ。箱にはSB302DB, (箱に筆書きで1955.9.8\320と記載)。em=[55,51]。
右の80(1950年代後半)は着炭黒化。カシメ穴がやや小さくなり,上部マイカはマグネシア処理,下部ステム上面もマグネシア塗布。充填棒2本の角ゲッタ。em=[21,15],エミ減。
Unknown (?) 80, プレートはくすんだ灰黒色。サポート位置が内側のためプレート間隔広い。電極上部マイカは円盤で,サイドマイカ支持。ステム支柱は5本でプレート2本,フィラメント2本,中点1本。ステム「ウ」。内部白粉散乱。em=[49,42]。
NEC 80 (C01 黄色字05) 1960, リブ無し,黒化プレート,皿ゲッタ。フィラメントはU,マイカバネ。四角のマグネシア塗布マイカ。ステム支柱は6本でプレート2本,フィラメント2本,中点2本を束ねて1本に。サポート位置が外側のためプレート間隔狭い。em=[50,51]。
Futaba KX-80 (緑字D4?またはみ0), プレートはアルミ被覆鉄製で4リブ付き。ステム支柱は5本でプレート2本,フィラメント2本,中点1本。サンプルは中古であり,ステムはプレート引出線が高温によりガラス内部が黒化,em=[54,51]